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広島原爆の日 [etc.]


戦争の始まり、
それを決めるのは決して市民ではない。
でも、犠牲になるのは多くの市民です。
赤ちゃん、子供、学生、社会人、主婦、
妊婦さん、お母さん、お父さん、
おじいさん、おばあさん…
国の争いごとに関係なく、
みんな、自分の日常を、自分の人生を
ただ生きているだけ。

そんな市民たちが、
戦争によって、突如として日常、人生を
奪われてしまう。
市民が何をしたと言うのでしょう。

こんな不条理なことはありません。

72年前、戦時中とはいえ、
アメリカが、米軍が核兵器を使用したことは
どんなに時が経とうとも絶対に正当化されるものではありません。

核兵器を使用した側は、
核兵器の犠牲になった街が、市民がどうなったか、
あの日から、どんな日々を過ごしてきたのかを知るべきです。

起きてしまったことを無くすことはできない。
でも、核兵器を使用した国の国民が
事実を正しく理解しようと努力し、知識を深め、
被爆者の方々に接したり、心情を知ること、
人の傷みを理解することで、
二度とあんなことを起こしてはいけないと
そう思うことが大事。

と同時に、戦争を知らない私たち、
今を生きる若い世代、これから生まれてくる子供たちにも
過ちを繰り返さないよう、
ずっと語り継がれていかなければならないと思います。

想像しましょう。
いつもの朝、目覚めて朝食をとっている、
学校や仕事へ出掛ける、
洗濯や掃除をしている、
そんな時に、突然、強い光と共に
何が起きたかを知る間もなく、
亡くなっていく。
それが、自分だったら。
大切な人だったら。

想像しましょう。



私たちは、国の奴隷じゃない。
一人一人に日常があり、一度しかない人生を
幸せに生きる権利がある。
それを奪う権利は誰にもない。

戦争をして、失うものの大きさに
見合った幸せなど絶対にないのだ。



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